<< Prev Page Next Page >>

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


子供を学校や幼稚園にやる時心がけたい7つのこと

モンスターペアレントのことがまた載ってたので見た。やっぱ子育て中としては気になるところ。
モンスターペアレント実態赤裸々 無理難題と理不尽全18例掲載 : J-CASTニュース

学校や幼稚園、保育園で我が子が被った不利益(と、本人が信じるもの)に対して、イーブン(と、本人が信じ略)になるまで、あるいはそれ以上何かを取り立てようとするとか、取り立てられないならイーブン(と、略)になるまで相手に不利益を被らせようとするとか、そういう事例が18例。

この親たちはとくにわかりやすくばかばかしい例だとは思うんだけどね、根本的なところから表面的なところまで、あちこちおかしいんだと思う。

サービスじゃないけどサービスに喩えてみる

月謝払って子供を預けて、教育とか自分の働く時間とか子供の社会的成熟とかそういうものを得ようとするでしょ。ウチダ先生的に言えば教育の意味はそんなところにあるわけじゃないんだけど、「社会システムの維持のため」に自分の子供を学校に行かせるという親は、まああんまりいないよね。多分。

リスク

子供を多人数で扱うことでいろんなメリットが生まれると同時に、転んで大怪我したりいじめにあったり背の低さが目立ったりというリスクも生まれると考えてみる。リスクを0にしたければ預けるのをやめるしかない。預けなくても子供は転んで怪我するけどね。少なくとも家の中にいる間はいじめには遭わない。

対価

そういうサービスがあって、実は社会システムとしても粒のそろった成人を揃えることにはメリットがあるので公立小学校は月謝無料ですよとなってる。幼稚園とか保育園にしても数万円(千葉県某市高杉ワロタ)。得られると期待されるものに比べるとすごい割安料金。リスクのことを勘案しても、期待値としては「買い」のサービスだろう。子供の社会的成熟とかはプライスレス。

負ける可能性

期待値として大きくプラスであっても、それは絶対マイナスにならない、ということを意味しない。期待してたほど成熟もしないわ、大怪我もするわいじめにも遭うわ、と悲惨な結果になることもあり得る。

心がけること

で、長い前置き終わり。つまり、親としては、得られるものは期待通りに得た上で、負ける確率はできるだけ小さくしたい。

1.気分良く仕事してもらう

幸いなことに、サービス提供側のモチベーションはもともとかなり高い。子供にとって「良いこと」をたくさん提供しようとしてくれている。その足を引っ張るようなマネはしないほうがいい。先生が「良いこと」と信じてやったけど、子供に小さな不都合や不利益が生まれることがあるかもしれない。でもほとんどの場合、それは回復不能な大けがじゃないし、実際「良いこと」である可能性の方が高い。それなら数多く試行してもらうほうがいい。マイナスをなくすんじゃなく、プラスを増やして些細なマイナスを打ち消しちゃうイメージ。

2.ちっさいマイナス分を取り立てない

小さな不都合なら親がフォローすればそれで済むし、かえってそのことが成熟につながったりする。ちょっとぐらい我慢するんだ。学校に同じだけの不利益をおわせるとか誰も得しない。

3.リスク最小化は学校の業務の一つだけどゼロにはならない

子供が大勢いればいじめは必ず起こる。怪我だって必ずする。学校はそういうことができるだけ起こらないようにすでに長年対策してきている。その上に要求ばかり積み上げてゼロを求めるのは不毛なだけだ。あとはそういう痛い目に不幸にも遭ってしまった場合、そこから回復させるのは親の仕事。回復不能な痛い目に遭ってしまった子供さんとその親御さんは、本当に気の毒だけど。

4.お金はちゃんと払う

そもそも対価というにはあまりに安すぎる金額なわけで、それぐらいの月謝とか給食費とかは遅れずに払い込む。こないだ口座の残高確認してなくてすみませんでした。>幼稚園

5.たとえ学校がアホに見えても

自分のほうが能力も人格も素晴らしく我が子の教育にふさわしいと思ったとしても、実際代わりにできないんだからどのみち任せるしかない。

6.マイナスの方が大きいと判断した場合

あまりにもいじめがひどい、荒れまくっている、アホ親だらけ、教員のモチベーションが既に沈没している、などの場合、逃げ出す選択肢をキープしておく。具体的には引っ越せるだけの仕事等の都合と貯金ともうちょっとマシなところを探す伝手。

7つ書かないのが流行らしいのでこのへんで。


いろんなものがTwitterに群がり何が起こるだろう

Twitterドラマ見逃しったー

そりゃまあ、Twitterでうまいこと商売できたよ!っていう人がいっぱい出てきてるし、常駐する人がどんどん増えればそれだけ、広告メディアとしての価値が上がるわけだから、広告屋さんとしてやることはひとつ。Twitter人口を増やす事なわけなんだろうね。

テレビCMで「続きはWebで!」ってやるより、ついったーにリンクがひょいっと出てきた方が、そのWebサイト見に行く障壁はずっと低いよねとか、そんな当たり前の力学に基づいて、あんまりひねりとか無くせっせと広告屋さんががんばっている。まさに王道。

そうやって今日本でTwitterやってるのはネットユーザーの8%だそうだけど、これが20%とかにもしなってくると、どうなるんだろう。今は新しい価値観に自分を慣れさせるのが上手な人ばっかりだけども、そうじゃない人がどんどん増えてくると、Twitterはどんどん昔のWebに近い方向に変わっていくだろうし、うん。どうなんだろうね。


オリジナリティとか自分勝手とか

内田センセイのブログはだいぶ長いこと読んでるので「おぉ」と思うことは少なくなってきたのだけど、今日「あ。ほんとだ。」と思ったので記録。

つねづね申し上げていることだが、他人を出し抜いて利己的にふるまうことで自己利益を得ている人間は、そういうことをするのは「自分だけ」で他人はできるだけ遵法的にふるまってほしいと願っている。
高速道路が渋滞しているときに路肩を走るドライバーや、みんなが一列に並んで順番を待っているときに後ろから横入りする人は「そんなことをするのが自分だけ」であるときにもっとも多くの利益を得、「みんなが自分のようにふるまう」ときにアドバンテージを失うからである。
だから、彼らは「この世に自分のような人間ができるだけいないこと」を願うようになる。 論理的には必ずそうなる。

その「呪い」はまっすぐ自分に向かう。 「私のような人間はこの世にいてはならない」という自分自身に対する呪いからはどんな人間も逃れることはできない。
甲野先生の最後の授業 (内田樹の研究室)
ここまでは、承知済み。で、続きが
「オリジナリティ」とか「知的所有権」とか「自分探しの旅」とかいうのはそういうイデオロギーの副産物である。
けれども、「オリジナルであること」に過大な意味を賦与する人たちは、そのようにして「私のような人間はこの世にできるだけいない方がいい」という呪いを自分自身かけているのである。
甲野先生の最後の授業 (内田樹の研究室)
あ!ほんとだ。なるほど。

オリジナリティとかユニークネスというのは僕の中では学生の頃からずっと気にかかっていることで、今までのところ

・経済的な価値が生じるほどのもの凄いユニークネスを、みんなが求める/みんなに求めさせるって。
・インターネット検索によって自分のオリジナリティの無さに絶望する年齢が飛躍的に早くなってしまった
・自分だけが持っているような価値を探す旅は、そんなものはどこにも存在しないことを腹の底から理解するという効果があるからやりたいならやればいいと思う。ただし絶望を回避できるように狭い範囲をちょろっと巡るだけだったら無駄だからやめたらいい
・それでもついつい気を抜くと「俺ってちょっと特別じゃね?」という方向に逃げたくなる

というようなことを考えてたけど、高速道路の路肩を走る利己的な動機と同じなんだというのは気づいてなかった。そうか。

で、さらに続く。
「私のような人間ばかりの世界」で暮らしても「平気」であるように、できれば「そうであったらたいへん快適」であるように自己形成すること、それが「倫理」の究極的な要請だと私は思う。
「世界が私のような人間ばかりだったらいいな」というのが人間が自分自身に与えることのできる最大の祝福である。
でも、これはむずかしい課題である。
ふつうの人は「世界が私のような人間ばかりだったら」気が狂ってしまう。 他者のいない世界に人間は耐えられないからである。
甲野先生の最後の授業 (内田樹の研究室)
逆をとれば当然そういうことになる。ふつうは耐えられないよね。ふつうは。

で、ふつうじゃないのがスガシカオだよねー。
世界中の人が全部もし僕だったら
世界中の神が全部もし僕だったら
そんな素晴らしいことってちょっとない気しない?
いやいやいやいや。素晴らしくねえよ!

と、まあこの歌詞初めてきいたときは戦慄したもんだけど内田センセイのブログと合わせて読んでみると、そうか、スガシカオひょっとして深いんじゃない?
でもちょっと待って ぼくって自分をそんな愛せるかな?
ていうかめんどくさいし かなりムリかも

遠い南の島に楽園を もし僕がつくるとしたら
大嫌いなあいつとか連れて行ったほうがいいのかもね
そうか、やっぱりそういうことなのか、内田センセイとスガシカオセンセイ!


現状を変える意志

イケてない現状を変えるには。

とりあえず「なんだこのダメな状態は!」って叫んでみる。

叫んだ時点で周りから自分自身への信頼度がある閾値を超えているなら、「どうしたらいい?」と頼られ、権限が委譲される。そっから実際にイケてる状態までもっていくにはまたたくさんの血と汗と涙が混じり合って池となり結晶したり空と~ぉ~君と~の~あ~いだ~にはぁ~(間違い)

で、それはまだ楽な話。

「なんだこのダメな状態は!」って叫んだ時「うるせーこのダメ人間」と罵られたり「そうだねーでもどうしようもないんだよねー」とテンション低ーかったりするのはまだ信頼度のパラメータが足りなくてフラグが立っていない状態。

ここで叫び続けるのは下策。

叫び続けたところで、ウザがられて、「んなに言うならやってみなよ」とめんどくさそうな顔で言われて、「まかせとけ!」かなんか言っちゃって、頑張ってみたものの、悪い現状に陥るにはそれなりのみんなの積み重ねってものがあるんであって、それを一人で覆すのは、天才君なら出来るけど凡才君の多少のがんばり程度ではどうしようもなくて。

自分が天才君だと勘違いしてしまってるのが最大の間違いなんだけど、
「俺がこんなに頑張ってるのに周りがついてこない」
とmixiに書き込んでマイミクのひとたちに「うんわかるー」とか言われて、

やーい負け犬ー。(あっ言っちゃった)

やっぱり多大なエネルギー量を必要とすることを凡才君がやろうとするには、
・自分が凡才だと認める
・時間をかけてエネルギーをためて一気にドカン
・周りの人の元気もオラに分けてもらう
そういうことが必要なんだと思う。

このうち、自分が凡才だと認めるのが難しいって人は、まあ頑張って強く生きてもらうとして、時間をかけてエネルギーをためるのは結構難しい。

たいていの場合、自分にも仕事とかあるわけで、現状を変えるための準備どころか、イケてない現状に巻き込まれてよけいに疲れちゃったりして難しいけど、そこは何とか知恵を使う。上手いこと言い訳して内職するとか、体調不良で休んどいて家で準備するとか。大事なことのために、大事じゃないことは犠牲にして爪を研ぐんだ。

そして、チャンスを待つ。イケてない現状のせいでみんなが痛い目に遭うのを待つ。みんなが「くそーこんなダメな現状だからつらくてしょうがない!」って思うのを待つ。

そして、かねてからの準備を解き放つ。解き放ち方も気を遣う。みんなに元気を分けてもらわないと一人じゃムリだから!
「くそーこんなダメな現状だからつらくてしょうがない!」
「はーっはっはっはっ、こんなこともあろうかと、俺様が現状を根こそぎ改革するために準備しておいたのだ!」
「…さぼってやがったのかこの屑が」
こうじゃなくて。

「くそーこんなダメな現状だからつらくてしょうがない!」
「ほんとだよね!…もしかして、こうやれば良くならないか?」
「そらそうかも知れないけど余力がない…」
「俺ちょっと頑張ってみる!みんなのために!」
(2日後)(しれっと)「試しに途中までやってみた。」
「おお、これは!…もしかして、イケるかも!?すげえ!たったの2日で!」
「でもここからはみんなの協力が必要だ!みんな!オラに元気をわけてくれ!」
こんな感じで。ちょっと天才君のふりができるけど勘違いはしない。

で、ようやっと血と汗と涙やらよだれやら糞尿やらが混じり合って風の中のす~ばる~砂の中のぎ~んが~というアツい物語が始まる。

一度実績ができると次回からみんながもっと協力的になってくれるかも。そこでもっと酷いことになったらもう誰も話し聞いてくれないかも。


でも、ま、そんなん面倒だから黙ってるのがラクかもね。


中央ルート

僕が住んでいる前原市で最近話題なのが、「中央ルート」と呼ばれる道路建設計画。

なんだけど、共産党とか「建設に反対する会」みたいなののチラシとかが入ってる割に、どこに作られる予定なのかよくわからなかったので調べてみた。

まず見つかったのは前原市のサイトより

なぜ必要なのか・・・中央ルートの効果は大きく2つ挙げられます。
① 九州大学からの人・もの・情報の流れを作ることができる
② 国道202号の慢性的な交通渋滞の緩和を図ることができる
WEB市長室@福岡県前原市 » ◆◆◆中央ルートとまちづくり◆◆◆
そかそか、九州大学の学生や関係者、出入り業者などをこっちに引っ張って金を落とさせようっていうことですね。安易っぽいけど、いつも効果があるのはベタな方法っていうのも真実。それが本当にできるならいいことだと思う。あと、九大の学生たちが感じる僻地感や絶望感を少しでも和らげることができたらいいね。(と、筑波大出身者はそう思う)

そんで、肝心のその道路の場所については、
…えーと、

…どこやねん!

あ、あったあった。とりあえずGoogleからPDFファイルに直リンクがみつかった。前原市じゃなくて福岡県のサイト。市、やる気ねえええ。
http://www.pref.fukuoka.lg.jp/file/open.php?f=/uploaded/life/19/19633_1445034_misc.pdf
でも県のサイトのどのページからそのファイルをダウンロードできるようになってんのかちょっと探したけど不明。相変わらずだなあ。

反対してる人たちが運動してるっぽいからすぐ見つかるかと思ったのにそっちも地図がないし。なにやってんだろうねほんとに。


で、上記PDFの20~21ページ目に中央ルート含む都市計画が書いてあって、21ページ目はちゃんとした地図だったので、見やすいようにGoogleMapで作図。ついでに九州大学伊都キャンパスの位置も書き込み。便利な世の中になったなあ。

より大きな地図で 前原市中央ルート建設計画 を表示

ちなみにPDFの20ページ目概念図ではこんな風に表現されている。
maebaru-keikaku.jpg
この、九州大学へ至るラスト1マイル、前原市の外なので前原市からは手が出せないというところが矢印でぼやかしてある(笑)

ま、それはともかく。


思ったこと。

(1)え、そこに作っても202号線の渋滞、変わんないよ?
202号線っていう道は、周船寺~今宿で混むので。でも、もし202号線→バイパス(高速下)に抜ける流れを作りたいのなら、この計画のようにまっすぐ直角につなぐと心理的に距離を損する感が出るので、もっと斜めに、202号からY字路みたいに南に逸れていくとバイパスに合流する、という形にしたほうがよいと思う。

(2)どう考えても九大入り口から見て不便すぎる
現在、キャンパスがある石ヶ岳南斜面のただの森になってる場所を切り開いて、九大の「南門」を作ってもらって、そこからバスがじゃんじゃん出る、というところまでやりきれるならこの道路はすごく有効に機能すると思う。…それいくらかかるんだろう。九州で最悪の財務状況である前原市でできるのか?現在の入り口しかないのなら、波多江方面に人を流すのは苦しい。あと、現状の波多江駅前は、大学生来てもなんも楽しいことないからなお苦しい。
うーん、この辺は鶏と卵の関係かも。

(3)100億円かぁ。
古い情報ばっかりで(あんまりちゃんと調べる時間もないので)最新の額がどうなってんのか知らないけど、県と市で100億円ばかりかけて道路作りたいらしい。
来年から志摩町と二丈町と合併して糸島市になるんだしさ、糸島観光のサポートとか、農業奨励とか、市民税率下げるとか、田舎暮らしに憧れるおじさんたちを上手いことひっかける方向とか、そっちで稼ぐ道をなにかできないかなあ。

商業だけで福岡市の求心力には太刀打ちできないんだから、福岡市が取りこぼした人モノ金をこっちにたぐり寄せる戦略がいいと思うんだけどなあ。あんまり無茶な投資をしない方向で。

あと、反対派の人たちはビラ配ってないでみのもんたが取り上げたくなるような話題を作ってテレビを呼ぶとか、ネットで祭り騒ぎになることを目指すとか、もっと上手にやったらいいのに。


あと、こういう100億円の使い道はぽんと予算作れるのに、IT系のなんかちょっとしたシステム作りましょうっていうときに「財政が厳しくって」とか言いながら数十万円の見積もりをギリギリまで値切り倒すのってなんでだろーねー。

わかんないねー。

…ほんとはだいたいわかってるけど。


ラクしたい

J-CASTニュース : 20代女性に強まる「専業主婦願望」 理由は「働きたくない」「ラクしたい」

うん、引用をどこからするか迷ったけど、最後の大学の先生のお言葉を。

家族社会学が専門の山田昌弘中央大学教授は、
「今の若い世代は『ラク』がキーワード。社会に出て活躍することにさほど希望が持てない追い込まれた状況下で、専業主婦に夢を見いだしているのでは」
と日経新聞(05年5月10日)でコメントしている。
新聞に載ってたコメントだから恣意的にゆがめられてる可能性はかなり高いんと思った方がいいけどねー。

この先生なのか、コメントを編集し直した記者さんなのか、その両方なのか、「ラクを求める」姿勢に苦々しく思ってる雰囲気がにじんでるように読める。

でも、「ラクをする」って良いことだと思うんだよ。ラクをしている中で、余裕があって、初めて「もっと良くしよう」って思えるんだから。

ウチの奥さんも専業主婦で、そりゃあ共働きで子育てしてる人よりはずっとラクが出来てて、そのおかげで料理のレパートリーが広く深くなってなんだかもう僕の手の届かないところまで行っちゃってたり、愛情がたっぷり必要な時期の子供に、いいと思ったことをやれてたりする。
いや、まあそりゃ、時間の制限は緩くてもお金の制限はちょっときついから(ごめん)、なんでもできるってわけでもないんだけど。

仕事だって、余裕があればもっとマシな「better」を提供できるかもしれないのに、「must」だけしかやってない仕事なんてやる方もやられる方も楽しくない。

余裕があったら必ずbetterを求めるかどうか、は、そりゃわからない。そうじゃない人もいるでしょう。でも余裕がない状態だったらbetterはどんどん切り捨てられる。これはもうわかってる確実なこと。

夫が頑張ることで奥さんに余裕が持たせられるんなら頑張ればいいんじゃないかな。そこで「better」がまるで生まれないとか、生まれた「better」が全部奥さんに浪費されてしまってるように感じたとしたら、それは選び方を失敗したってことじゃないかな。


渋滞のこと

また広告が表示されてる…書くよう。
それにしてもブログ書く暇もないほど忙しいってどういうことや。

さてこの連休で渋滞に巻き込まれて大変だったという方も多いと思いますがいかがお過ごしでしょうか。とっくりです。(ブランクが長くて切り出し方がわからない)

渋滞に巻き込まれて、イライラを募らせて、
・どこまでいっても1000円なんてやるからこんな渋滞になるんじゃボケ
・うちETCついてないから1000円にならんのじゃ
・ETCつけたくても売ってないんだも~ん
・トラックも1000円にしないと経済効果としては小さいのではないだろうか
などなど、いろんな怨嗟の声が聞こえてくる。

まあね、東京圏に住んでる人にとっては渋滞がすごすぎて車がピクリとも動かないみたいな状況で、腹が立つのでしょう。でもその渋滞作ってるのも1000円に釣られた自分だし、お金がかかっちゃう一番の原因はさっさとETCをつけてなかった自分だし、ここは将来のスムーズな交通のためにちょっと我慢だよっ。ETCが完全普及すれば料金所の渋滞が数分の1になるはずだし、もっと細かい料金体系でちょくちょくサービスされたりもするはずだから。

で、九州では、たぶんほかの地方都市もそうだと思うけど、あの東名高速とか首都高速とかの絶望的な渋滞とはちょっと違う。

いわゆる「自然渋滞」っていうやつで、特徴は、渋滞にはまってから30分ぐらいトロトロ運転になって、完全に止まってしまうことなく、渋滞の先頭まで行くと何事もなく流れ出すので「え?いまなんで渋滞してたの?」という感じで抜けてしまう。

先日も鳥栖ジャンクションの手前で渋滞20kmとかになってるから、そうかジャンクションの合流とか分岐とかで詰まっちゃってるのかなと思ったら、ジャンクション手前1kmあたりで渋滞が終わってた。分岐も合流もすんなり流れてた。え~っ。

そういう自然渋滞は、「渋滞学」で解消することができるらしい。要するにNexcoがちょっと施策を打てば九州の渋滞は根絶できるってことだ。(料金所とかバリアとか、そういう場所の限界流量を越えたせいで後ろが詰まっちゃう種類の渋滞は無理だと思う)
「渋滞学」の権威、西成活裕東大教授が伝授!目からウロコの“究極”の渋滞回避術(日経BP)

まず、渋滞が出来るきっかけは
「流れのスピードが上がってて車間距離が詰まってるときに、誰かがぎゅっとブレーキを踏んだ」
という、たったそれだけのことで、その後ろの車がもう少し強めにブレーキ、そのまた後ろがさらに強くブレーキ、…と連鎖していって、ずっと後ろのほうは止まってしまうということらしい。

じゃあ、なんでブレーキを踏まなきゃいけないかというと、
「速い車と遅い車がいるから」
「無理に割り込む車がいて車間距離が強制的に縮められるから」
ってことだろう。速い車は、自分が渋滞の原因になってるなんて思いもしないだろうけど、みんながぴったり息をあわせて同じスピードで走ってたら車間距離は縮まらないんだから。

「渋滞学」の西成活裕先生によると、時速約70kmで走っているとき車間距離40m以下だと渋滞するらしい。もっとスピードが速いときは車間距離がもっと必要で、もっと遅いときはもっと詰められるってことだろう。一般道の感覚からいくと、時速50kmなら車間距離20mぐらいでも流れられる気がする(交差点も違法駐車もバス停もないことだしねー)。

車間距離が半分(=密度が倍)になってスピードが半分にならないなら流量は大きくなってるので、交通量が多いときは強制的にスピードを落とさせて車間距離を詰めさせることで、渋滞を防げるというか、深刻な渋滞になるところが「ちょっと遅いな」で済むはずだ。もっとも、あまりにスピード落として30kmとかになっちゃったらそれ渋滞と変わらんし、車間距離はある程度以下には縮まないので意味がない。

高速道路のある地点に流入する車の流量(時間当たりの台数)はカウンターでも設置すれば計測できるわけで、そうすると、その流量を渋滞させないために最適なスピードはリアルタイムに計算できるはずだ。

ということは、問題は単純化できて、
「渋滞しそうなほど交通量が多くなったときに、渋滞の原因となりやすい場所で、流れを強制的に遅くする」
ということになるんじゃないか。

それ、F1とかで事故が起こったときに出てくるペースカーで実現できるよね。

「回転灯が回ってるペースカーを追い抜いたらタイホ」っていう法律作っといて、渋滞を起こしやすい地点に10台ぐらいNexco印の黄色い車を投入して、コンピュータで計算して割り出した最適速度で走らせる。もちろんそのエリアをぐるぐる回り続けるのね。

職員がやると人が足りないので、
「車を運転するだけの簡単なお仕事です」
「他人と会話することがほとんどありません」
「好きな音楽でも聴いて、こちらが指示する速度でのんびりとドライブしてください」
「土日だけ働ける方募集」
なんて募集するとわんさか集まるんじゃないかな。

っていう話を、渋滞にはまりながら奥さんとしていた。こういう変な話をウザがらずに乗ってくれる奥さんが大好きです。

何度もいうけど、首都高速とかはぜんぜん種類が違うのでこれ意味ないから。あくまでも地方のまっすぐな高速道路の自然渋滞の話。


問題解決力?地頭?

さんざんいい大人になっちゃってから、「コミュニケーション力が」とか「問題解決力が」とか、一生懸命ビジネス書とか読んじゃってさ。

小学校から大学まで、10年間もコツコツと与えられた課題に正面から取り組んで、要領よく他人のノート写したり巧いこと過去問丸暗記とかじゃなくて自力でちゃんと良い成績をとってきたような人は結局、問題解決する練習をたくさんたくさん積んできてるってことだよね。

学校でも会社でも、周りの人と助けたり助けられたり、たとえば文化祭とかクラブ活動とか、もちろん恋愛とか、合コンもかもしれないけど、問題に取り組んでちゃんと切り抜けてきたような人は結局、コミュニケーションの練習をたくさんたくさん積んできてるってことだよね。

「学校の勉強なんてなんの役にも立たない」
「文化祭なんて馬鹿馬鹿しい」
って、そんなことないんだって。学校の勉強でも文化祭でも、一生懸命頑張って誠実に取り組むことは否定しちゃいけないんだよ。

勉強の成績が良かったから数学とかやらせれば優秀だけど、社会人としてどっか足りてない、みたいな人や、またその足りない部分が上手に埋められないような人は、そりゃあいくらでもいるでしょう。それでも「真剣に学んだ」ことを馬鹿にしちゃいけない。

「なんのために勉強するの」
っていう子供の問いに、大人や社会が
「勉強すればこれこれこのようにお金が儲かるからだよ」
なんていう答えを返し続けてきたから、
「じゃあ、勉強しないでお金が儲かるならオレ勝ち組」
なんてことになっちゃってるんでしょう。(そして、楽して勝ち組になろうとしてやっぱりなれなくて気づくと行き場がなくて困る、みたいな人が増えちゃってる)
というのは内田センセイの受け売りね。

それは「学校というのは、子どもにもその有用性や意義がわかる商品を扱うところである」という理解に子どもを導くだけである。
となれば、消費主体のその後の仕事は一つしかない。 それは、その商品を「最小限の対価」で手に入れるためにはどうするか工夫する、ということである。
商品を「買い叩く」ための基本は当該商品に対する欲望をできるだけ示さないことである。
だから、子どもたちは可能な限り授業に集中せず、教師に対する敬意表現を手控え、「学びたくない」というメッセージを全身でアピールする。

こんな私でよかったら (内田樹の研究室)

真っ正面から恥ずかしいことを言ってやる。
「真剣に取り組むことは尊いことだ。今やるべきことを真剣にやんなさい。」


内田センセイはまたちょっと違った「学びの理由」を挙げている。これも僕は好きだけど、子供にこう説明するにはちょっと。
しかし、知性のパフォーマンスが爆発的に向上するのは、「その有用性が理解できないものについて、これまで誰も気づかなかった、それが蔵している潜在的な有用性」を見出そうとして作動するときなのである。
自分が何を探しているのかわからないときに、自分が要るものを探し出す能力。それが知的パフォーマンスの最高の様態である。

そのうち役に立つかも (内田樹の研究室)

でも子供にこういうワケわからんことをねじ込むのも面白そうだ。自分ちで実験ができるのも子育ての楽しみ。
「わかんないでしょ。僕もたぶんわかってないもん。もしわかったら教えてよ」
とか。けけけ。


売る人と買う人

世の中情報があふれているせいか疑心暗鬼になったり逆に欺されやすくなったり。

不動産屋に行く。
「山田線の沿線の物件を探しているのです。できれば川口駅あたりで」
「そうですか、ではこちら(駅近バカ高物件)などいかがでしょうか。」
「すみません、少し離れてもいいので家賃8万ぐらいでなんとか」
「では少し離れますが佐藤線の山口駅(宅地造成中、新しいアパートが続々開発中)近辺はお勧めですよ」
(川口駅がいいんだけどなあ、っていうか山田線沿線ですらねぇよ!)

「そっちが売りたい物件じゃなくてこっちが買いたい物件を提示してくれよう」といやな気分になってしまった人がネットに書き込む。
「不動産屋はまず自分が売りたい物件を提示するんだぜ!だから何度もゴネなきゃこっちが欲しい物件は出てこないんだぜ!」

それを読んだ人が不動産屋に行く。
「鈴木線の鈴木駅近くで予算は5万円で」
「ではこちらなど」
「(キシャー、そいつはハズレだぜ!)他のやつ!」
「ではこちら」
「(キシャー、オレは欺されないぜ!)他の!」


「…お客様、もうネタ切れです」
「さあ出せ!隠してるのがあるんだろう!安くて広くてきれいで駅から近いワンダフルな掘り出し物が!」
「ねぇよそんなもん、ってかもうお客のために頑張ってるのになぁ」


病院に行く。
検査と薬に関してほぼ同様の現象が起こる。んで、ネットで相談相談。
「子供が風邪で病院に連れて行ったら抗生物質の注射を打たれました。これって必要なんでしょうか」
「病院は薬をたくさん処方すればそれだけ儲かるようになってるのよ!欺されちゃだめ!」
「やっぱりそうですよね!」
「それに抗生物質なんて自然界にもともと存在しないもの。か弱い子供にそんなの入れたら何が起こるかわからないわ!」
「そうですよね!こんどからちゃんと勇気を出して断ります!」
医者(…治るもんも治らなくなるから素人は黙っててくれ…切ないわぁ)


学校は、そういう感じの末路として崩壊済み。


システム屋も、値切られてばっかりでつらいようえーん。大手SIerのバカァ!もうギリギリの良心的価格でなんか見積もってあげないんだからっ!


鶏と卵の関係だったり、鶏がいないのに卵ができちゃってる関係だったり、今となってはホントのところはわからない。
結局のところネット上のデマみたいな本当みたいな話を吹っ飛ばすぐらい、専門家一人一人が信頼を勝ち取る努力をしなきゃいけない大変めんどくさい世の中になっちゃってる。
そして、その点について行政とか法律とかはあんまり当てにならないことが実証されている。少なくとも、各専門家が自分で知恵を絞って工夫をするよりも面倒でコストがかかる対応を強制される(病院でいえば処方薬の一覧表とか、いちいち長い「同意書」とか)。

古き良き、丼勘定と気まぐれサービスがまかり通ってた時代を羨ましく思うこともある。僕たちロスジェネ世代が団塊世代を妬むのはそういう要素もある。そして、不動産屋の最初の例みたいに、ひどいサービスを実際やってくれちゃってたせいで信頼度マイナスからのスタートかよ、とすねることもある。

でも、しょーがない。そんなこと言ってたって食ってかなきゃいけないんだから頑張ろう。ちゃんと信頼を勝ち取ってる人はちゃんと稼げてる。頑張ろう。


平成女子図鑑

以前「平成男子図鑑」で楽しませていただいた深澤さんの記事の続編が連載始まったみたい。
深澤真紀の平成女子図鑑:NBonline(日経ビジネス オンライン)

この連載では、40代から20代までを幅広く「平成女子」として考えていますが、この平成女子の間でも、バブル世代とその下の世代で大きく対立するのが「ワリカン」と「奢り」に関する考え方でしょう。  そこで今回は「ワリカン女子」と「ごっつぁん女子」について考えてみます。

【2】「ワリカン女子」と「ごっつぁん女子」:NBonline(日経ビジネス オンライン)
20~49歳をひとくくりに平成女子と名付けて大丈夫なのか、など様々な楽しみが。女性の深澤さんが同じ女性をどんな風に分析するのか、期待しましょう!

僕の感覚としては(すごーく少ない身の回りの実例と、ネットで見かける人々の傾向を見ただけだけど)、20代、30代、40代で結構世代間の特徴が変化しているのかな、と感じている。

バブルのお楽しみをたっぷり享受した40代、人数だけはやたらと多いが上に比べて幸福感が少ない30代、上の世代がイマイチ幸せそうに見えなくてもっと小さく幸せになろうとする20代、という。

これから膨大なサンプルを元にした深澤さんの連載をチェックしていきたい。



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。