国語 の記事

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2009/07/27 助けるには愛が要る
これはとてもよくあるハナシ。いや鬱で働きたくないって人は僕のまわりにはいないけど(友達少ないから)、その、不幸な過去のせいで不幸な現状が云々っていうのはよくあるタイプ。「わたしは両親から愛情も注がれずに育ち―」「子供の頃はいじめられっこで、こんなに酷いこともされ―」「信じていた彼/彼女からも、これこれこういう最悪な形で裏切られ―」「わたしは鬱なので働きたくても働けず、それを周りから責められている―」・...
2009/06/15 ラクしたい
J-CASTニュース : 20代女性に強まる「専業主婦願望」 理由は「働きたくない」「ラクしたい」うん、引用をどこからするか迷ったけど、最後の大学の先生のお言葉を。家族社会学が専門の山田昌弘中央大学教授は、「今の若い世代は『ラク』がキーワード。社会に出て活躍することにさほど希望が持てない追い込まれた状況下で、専業主婦に夢を見いだしているのでは」と日経新聞(05年5月10日)でコメントしている。新聞に載ってたコメン...
2009/06/03 容疑者Xの献身(小説&映画)
先に小説を読んでから、DVDを見たよ。どっちも素晴らしかった。面白かった。いやあいいもの見た。(ネタばれありあり注意)まずは小説のこと。この物語の主人公となる石神の描写から入るんだけど、その容姿がブサイクで、数学の能力は突出してるけど、性格が暗くて他者を見下してて…というダメ人間っぷりをすんなり理解させてくれる導入からして、もう面白くなる予感がひしひしと。やっぱエンターティメント小説って変人がでてきて...
2009/03/05 問題解決力?地頭?
さんざんいい大人になっちゃってから、「コミュニケーション力が」とか「問題解決力が」とか、一生懸命ビジネス書とか読んじゃってさ。小学校から大学まで、10年間もコツコツと与えられた課題に正面から取り組んで、要領よく他人のノート写したり巧いこと過去問丸暗記とかじゃなくて自力でちゃんと良い成績をとってきたような人は結局、問題解決する練習をたくさんたくさん積んできてるってことだよね。学校でも会社でも、周りの人...
2009/02/26 精神科医の恋愛相談
Q: 私は20歳代の男性です。将来を約束して2年間付き合った彼女に突然別れを告げられました。その彼女はすぐに別の男性と付き合っています。 (中略)なにか方法はありますでしょうか?誰にも相談していません。つらくてたまりません。失恋した男性。彼女を殺してやりたいそんな激しい感情をなんとか抑えつつ精神科医に救いを求める手紙を書いた。そして回答を求められたのは有名な精神科Q&Aの林先生。林先生の過去にあったス...
2008/10/24 全力でマジレスしてしまう男の人
あはは。笑った。A「駅前の布団屋さんって儲かってなさそうなのにどうして店やってられるの?」B「ねー、なんでだろうねー」俺「それ、店やってると税金安くなるから」A「知ってる」俺「知ってるのかよ! 今すごく真面目に答えたよ俺!」(中略)B「……ワッフルワッフル。ワッフル屋さんができる」A「あ、そうなんだ。いつオープン?」B「来月の22日。俺君もたまには駅前遊びに行ったら?」俺「そうだねGoogleストリートビューで見...
2008/09/26 広告が。
また広告がでてきちゃった。急かさないでよう。自分がいけてないモノ作ると自分にしっぺ返しが返ってくるのが世の常ですが、作るときに時間とお金と心の余裕をもう少し欲しいと思うのは贅沢なんでしょうか。でしょうか。...
2008/07/28 こどものエサ
「○○をして初めてわかった」っていう言い方って、すぐに「あなたは○○をしてないんだからわからない」という物言いに繋がってしまうので、できるだけしないようにしているのだけど。赤ちゃんをじっくり観察していると初めて判ることがたくさんあって飽きない。最近知ったことは、愛情には質量があって、赤ちゃんはどうやらそれを食って生きているらしいこと。いや、文学的な文の修飾とかじゃなくて、ホントにそうなんだって。自分に...
2008/07/04 得意料理
第522回「得意料理はなんですか?」あまりにも書けないのでこういうのに頼ってみるよ。得意料理、小麦粉。こないだピザ生地打ちました。うどんも打つよ(あんまり上手くないけど)。ラザニアの麺も作ったことがある。餃子の皮は自分で打つと全く違う料理になって感動する。ウチの場合、僕が生地を打ってる間に奥さんが他の全部を作ってくれるので僕の得意料理はピザです、とかは言えないのでした。...
2008/03/17 貧者の思考=減点法
「旨い寿司が食べたいなあ」「そんなら寿司松いくか」「でもあそこ狭いからなあ」「広いのが良いなら広寿司か」「あんまり美味しくないしなあ」「(イラッ)じゃあそこそこ美味しくて広さも適当な並寿司か」「あそこも中途半端だなあ」「(イライラ)じゃあ金寿司」「高いよお」「おまえとはどっこも行かん」なにかを選ぶとき、各選択肢の欠点を強く念じてしまうのは愚かで豊かになれない考え方だ。そういう、すべての物事を減点法...
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助けるには愛が要る

これはとてもよくあるハナシ。いや鬱で働きたくないって人は僕のまわりにはいないけど(友達少ないから)、その、不幸な過去のせいで不幸な現状が云々っていうのはよくあるタイプ。

「わたしは両親から愛情も注がれずに育ち―」
「子供の頃はいじめられっこで、こんなに酷いこともされ―」
「信じていた彼/彼女からも、これこれこういう最悪な形で裏切られ―」
「わたしは鬱なので働きたくても働けず、それを周りから責められている―」
・・・なんていうストーリーの身の上話を最近よく聞くのだけど。
本当に助けて欲しい人はいるのだろうか
そういうハナシを聞いて、うかつにもそうなのか、じゃあと思っちゃって
そういう人に「どうしたいと思ってるの?」と聞いても明確な回答は返ってこない。
稀に「○○で働けたらいいんだけど・・・」といった希望があっても「なら、そこで働いてみようよ」と言うと「△△がどうしても無理で」などと、自分なりにできない理由のある解決策しか模索していない。
「じゃあこうするのはどう?」と提案しても「それはちょっと・・・□□もあるし」と、どうすればそれが実現できるかを考えずに、それができない理由ばかりを探して返してくる。
本当に助けて欲しい人はいるのだろうか
変える気ねぇならグヂグヂ言ってくんなヨ!ってこっちが腹立ってきたりして。

今までの自分のやり方、生き方をすんなりぱきっと変更して負のスパイラルを断ち切る、そういうエネルギーがあるぐらいならそもそも負のスパイラルに陥る前に自分でなんとかしてただろうし、アドバイスなんてするだけ無駄なのかもしれない。

でも「友人のアドバイスのおかげで抜け出すことができた」とか「母親の支えのおかげで今がある」みたいな話もテレビやネットでよく見かける(僕のまわりではないけど、友達少な略)ので、そういう例もあるみたい。

そのような例に共通するのは、「助けたい」と思う側の熱意、というか、愛情なんだと思う。

どん底(当人比)まで落ち込んで、現状を変えるエネルギーを持つことも出来ず、「助けてー」と力ない声を上げるだけで自分で助かる努力もできないところからもし助かるとしたら、なにかとんでもない幸運とか、他の誰かの無償の愛情ぐらいでしかありえない。
例を挙げると、ある女性はDV彼氏と付き合っていた。日々暴力を受けているのだけど、その状況からなかなか脱出しようとしない。そういう女性は、その彼氏と別れても、どういうわけかまた別のDV彼氏と付き合うことになる。
本当に助けて欲しい人はいるのだろうか
こんな不幸病の人、愛情でもなけりゃ最後まできちんと助けきるのはムリだよ。

という、そういうことも、困ってる側の人は考える余裕もないから誰にでも身の上話をしてしまい、「問題があるなら解決すればいいじゃん」ってナチュラルに考えてしまう人にウザがられちゃうと。

「助けてー」
「ごめん愛してないからムリ」
「ぎゃふんぎゃふん」


ラクしたい

J-CASTニュース : 20代女性に強まる「専業主婦願望」 理由は「働きたくない」「ラクしたい」

うん、引用をどこからするか迷ったけど、最後の大学の先生のお言葉を。

家族社会学が専門の山田昌弘中央大学教授は、
「今の若い世代は『ラク』がキーワード。社会に出て活躍することにさほど希望が持てない追い込まれた状況下で、専業主婦に夢を見いだしているのでは」
と日経新聞(05年5月10日)でコメントしている。
新聞に載ってたコメントだから恣意的にゆがめられてる可能性はかなり高いんと思った方がいいけどねー。

この先生なのか、コメントを編集し直した記者さんなのか、その両方なのか、「ラクを求める」姿勢に苦々しく思ってる雰囲気がにじんでるように読める。

でも、「ラクをする」って良いことだと思うんだよ。ラクをしている中で、余裕があって、初めて「もっと良くしよう」って思えるんだから。

ウチの奥さんも専業主婦で、そりゃあ共働きで子育てしてる人よりはずっとラクが出来てて、そのおかげで料理のレパートリーが広く深くなってなんだかもう僕の手の届かないところまで行っちゃってたり、愛情がたっぷり必要な時期の子供に、いいと思ったことをやれてたりする。
いや、まあそりゃ、時間の制限は緩くてもお金の制限はちょっときついから(ごめん)、なんでもできるってわけでもないんだけど。

仕事だって、余裕があればもっとマシな「better」を提供できるかもしれないのに、「must」だけしかやってない仕事なんてやる方もやられる方も楽しくない。

余裕があったら必ずbetterを求めるかどうか、は、そりゃわからない。そうじゃない人もいるでしょう。でも余裕がない状態だったらbetterはどんどん切り捨てられる。これはもうわかってる確実なこと。

夫が頑張ることで奥さんに余裕が持たせられるんなら頑張ればいいんじゃないかな。そこで「better」がまるで生まれないとか、生まれた「better」が全部奥さんに浪費されてしまってるように感じたとしたら、それは選び方を失敗したってことじゃないかな。


容疑者Xの献身(小説&映画)

先に小説を読んでから、DVDを見たよ。
どっちも素晴らしかった。面白かった。いやあいいもの見た。
(ネタばれありあり注意)

まずは小説のこと。

この物語の主人公となる石神の描写から入るんだけど、その容姿がブサイクで、数学の能力は突出してるけど、性格が暗くて他者を見下してて…というダメ人間っぷりをすんなり理解させてくれる導入からして、もう面白くなる予感がひしひしと。やっぱエンターティメント小説って変人がでてきてナンボというか。

石神が超天才の頭脳を駆使して物語を進めていくところも面白くてぐいぐい読ませる。途中完全にだまされて「あれれ、もしかしてストーカーに、いやでもまさか」とほんとに心配してしまった。

で、ガリレオ湯川が珍しく悩んで苦しんで、彼なりの結末と草薙との長年の友情関係を天秤にかけるほど迷う姿にフクヤマを脳内でイメージして萌えというか。いや、やっぱ美形は苦しむ姿が美しいとかなんとか。…と、妻が申しておりました(逃)

小説のほうでは「靖子」は単なる美女としか描写されてなかったように思える、というか少なくとも僕の印象にはあまり残らなかったんだけど、後から考えたらこの人ものすごく身勝手で愚かで、それでいて「ああ、こういう女いるよね」という、「女」のいくつかの典型のうちの一種だった。

トリックについては、最近僕の興味があまりそこにないせいもあって別段なんの文句もない(完全にだまされたし)。そのへんうるさい人はちょっと言いたいこともあるかもなーと思ったけど。「いや天才ならそこまで手間かけなくてももっと効率よくできんじゃねーの」とか。

でもストーカーと思わせといて実はネタだったりとか、湯川の台詞「警察はなぜ次の日のことばかり聞くんだろうと思ったでしょう」(うろ覚え)の衝撃とか、「おわ!」と驚かされること2回。いや3回か。なんとそのためだけに死体を用意するのか!っていうところも。たっぷり楽しんだ。

僕、安いかなあ。最近どんどん安くなってるような。まいっか。お得じゃん。


そんで、映画のほうですよ。

もう、小説を読んであんまり面白かったんで、ガリレオのドラマが大好きだった奥さんに「すっげえ面白かった」言ってたら借りてきてくれたので一緒に観たんだけど。
映画もスゴイ。面白い!

観る前に心配だったのは、
・石神ってずんぐりむっくりのブサイク設定だけど堤真一てカッコイイよね…どーすんだろ
・ドラマでは草薙があんまり出てこなかった代わりに柴崎コウ(薫、なんだけど、文字で読んでないから名前があんまり頭に入ってない)がいたけど、湯川が苦悩の末天秤にかけなきゃいけないほど深い関係じゃないよなあ
の2点だったんだけど、両方とも見事に鮮やかに解決されててもう、うれしかった。これ誰が偉いの?監督の西谷弘さん?脚本の福田靖さん?わかんないけど偉い。

石神のブサイク設定については、まず石神が柔道部の顧問云々っていうところはすっぱり諦めてズングリ体型についてはクリア。湯川と雪山登山して二人の友情関係と石神の体力の裏づけも地味にクリア。そして、なんといっても堤真一のバケモノ的演技力で、原作では豊富にあったモノローグも全然無いのに、無口な設定だから台詞も最小限なのに、見事にうだつのあがらない、頭いいけど何考えてるかわからない、暗くて危ないっぽい石神が出来上がってた。ますます堤真一が好きになる。

そして湯川と草薙の友情関係という、原作ではサブだけど結構大きなストーリーの柱を、映画化にあたってはバッサリ削っちゃった思い切りが素晴らしい。言われてみれば全部を2時間に無理やり収めてゴチャゴチャするより、石神と靖子の物語に集中したほうがいいに決まってる。そして小説読んでない人に摘出手術の跡を感じさせない技術はやっぱりすごいんだと思う。
小説読んだ人にとっては柴崎コウが「先生の苦しみを私も引き受けます」とか言っちゃってるのがえらく唐突に思えるけど。いやアンタいつのまに女房気取りやねんって。

でもいいの。そんなのは小さいことだから。だってこの映画は9割がた、石神と靖子の物語なんだから。湯川側はオマケ。

映画では靖子の松雪泰子が、美人で愚かで身勝手で、女性に嫌われそうな(女性のダメな面を見せ付けてくる)女性を豊かに演じていて、原作の靖子は確かにこういう人なんだろうけどびっしり描写はされてなかったっていう部分にばっちり肉付けしていた。すごい。すごいバカ女だ。

そしてラストシーンがもう。湯川の揺さぶりもあって、靖子がすべてをぶち壊しにしにきちゃって、石神が慟哭する、まさに「慟哭」としか書きようがない堤真一の演技に、ぜんぜん共感できないのに感動してしまう。

あそこは、石神はぶち壊されたことに怒ったり嘆いたりしてるんじゃない。だって、石神は靖子にはなにをされてもいいんだから。そして現実の生活には既に絶望し終わっている自分が最後にやったことが所詮自己満足でしかないことも当然承知の上で、刑務所で天井のシミをなぞって4色問題解きながら、靖子の幸せのために捨石になった自分という幻想に酔っていたかったのに、それが幻想だっていうことも承知していたのに、その幻想すら許されなかったという絶望があの慟哭なんだ。
あと「ラストで想いが通じてよかった(涙)」とか言ってる人はどうかお幸せに生きてください。イ㌔

という感想が、小説を読んだ後よりも映画を見た後のほうが鮮やかに湧いた。石神も靖子も、「ちゃんと」愚かだ(だって二人とも相手のためにって言いつつ自分のことしか考えてない)ってことが、ダメさ加減をリアルに表現する役者の演技ですんなり落ちてきたからだと思う。
巧い役者さんをふんだんに使って原作と同じ話なのに違うところで大きく感動させる、こういうのもいいね。

どっちを先に読んでも観ても面白がれる。「デスノート」が取った方法論(結末が違う!)も面白かったけど、こっちも良かった。


問題解決力?地頭?

さんざんいい大人になっちゃってから、「コミュニケーション力が」とか「問題解決力が」とか、一生懸命ビジネス書とか読んじゃってさ。

小学校から大学まで、10年間もコツコツと与えられた課題に正面から取り組んで、要領よく他人のノート写したり巧いこと過去問丸暗記とかじゃなくて自力でちゃんと良い成績をとってきたような人は結局、問題解決する練習をたくさんたくさん積んできてるってことだよね。

学校でも会社でも、周りの人と助けたり助けられたり、たとえば文化祭とかクラブ活動とか、もちろん恋愛とか、合コンもかもしれないけど、問題に取り組んでちゃんと切り抜けてきたような人は結局、コミュニケーションの練習をたくさんたくさん積んできてるってことだよね。

「学校の勉強なんてなんの役にも立たない」
「文化祭なんて馬鹿馬鹿しい」
って、そんなことないんだって。学校の勉強でも文化祭でも、一生懸命頑張って誠実に取り組むことは否定しちゃいけないんだよ。

勉強の成績が良かったから数学とかやらせれば優秀だけど、社会人としてどっか足りてない、みたいな人や、またその足りない部分が上手に埋められないような人は、そりゃあいくらでもいるでしょう。それでも「真剣に学んだ」ことを馬鹿にしちゃいけない。

「なんのために勉強するの」
っていう子供の問いに、大人や社会が
「勉強すればこれこれこのようにお金が儲かるからだよ」
なんていう答えを返し続けてきたから、
「じゃあ、勉強しないでお金が儲かるならオレ勝ち組」
なんてことになっちゃってるんでしょう。(そして、楽して勝ち組になろうとしてやっぱりなれなくて気づくと行き場がなくて困る、みたいな人が増えちゃってる)
というのは内田センセイの受け売りね。

それは「学校というのは、子どもにもその有用性や意義がわかる商品を扱うところである」という理解に子どもを導くだけである。
となれば、消費主体のその後の仕事は一つしかない。 それは、その商品を「最小限の対価」で手に入れるためにはどうするか工夫する、ということである。
商品を「買い叩く」ための基本は当該商品に対する欲望をできるだけ示さないことである。
だから、子どもたちは可能な限り授業に集中せず、教師に対する敬意表現を手控え、「学びたくない」というメッセージを全身でアピールする。

こんな私でよかったら (内田樹の研究室)

真っ正面から恥ずかしいことを言ってやる。
「真剣に取り組むことは尊いことだ。今やるべきことを真剣にやんなさい。」


内田センセイはまたちょっと違った「学びの理由」を挙げている。これも僕は好きだけど、子供にこう説明するにはちょっと。
しかし、知性のパフォーマンスが爆発的に向上するのは、「その有用性が理解できないものについて、これまで誰も気づかなかった、それが蔵している潜在的な有用性」を見出そうとして作動するときなのである。
自分が何を探しているのかわからないときに、自分が要るものを探し出す能力。それが知的パフォーマンスの最高の様態である。

そのうち役に立つかも (内田樹の研究室)

でも子供にこういうワケわからんことをねじ込むのも面白そうだ。自分ちで実験ができるのも子育ての楽しみ。
「わかんないでしょ。僕もたぶんわかってないもん。もしわかったら教えてよ」
とか。けけけ。


精神科医の恋愛相談

Q: 私は20歳代の男性です。将来を約束して2年間付き合った彼女に突然別れを告げられました。その彼女はすぐに別の男性と付き合っています。
(中略)
なにか方法はありますでしょうか?誰にも相談していません。つらくてたまりません。
失恋した男性。

彼女を殺してやりたい

そんな激しい感情をなんとか抑えつつ
精神科医に救いを求める手紙を書いた。


そして回答を求められたのは有名な精神科Q&Aの林先生。

林先生の過去にあったスゴい回答といえば、
まさかとは思いますが、この「弟」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか。もしそうだとすれば、あなた自身が統合失調症であることにほぼ間違いないと思います。
あるいは、「弟」は実在して、しかしここに書かれているような異常な行動は全く取っておらず、すべてはあなたの妄想という可能性も読み取れます。この場合も、あなた自身が統合失調症であることにほぼ間違いないということになります。

【1087】家の中にストーカーがいます

あなたの病気は悪化しています。 薬をやめたのが原因です。 このままでは危険です。

【0869】大司令症候群のテレパシー (【0580】の回答に対する意見)
などが記憶に残っているけど、この、一見ただの失恋とも思える相談に対して、どう出るのか!?
まさか、相談した本人が…?

その返答は!続きはWebで!【1473】彼女に突然別れを告げられ、つらくてたまりません


全力でマジレスしてしまう男の人

あはは。笑った。

A「駅前の布団屋さんって儲かってなさそうなのにどうして店やってられるの?」
B「ねー、なんでだろうねー」
俺「それ、店やってると税金安くなるから」
A「知ってる」
俺「知ってるのかよ! 今すごく真面目に答えたよ俺!」

(中略)

B「……ワッフルワッフル。ワッフル屋さんができる」
A「あ、そうなんだ。いつオープン?」
B「来月の22日。俺君もたまには駅前遊びに行ったら?」
俺「そうだねGoogleストリートビューで見とくね」
A「本当死ねばいいのに」

全力でマジレスしたがる男の人ってこんな会話がしたいんだと思うの
ほかにもこの流れで出てきた会話サンプルをいろいろ料理して才能の無駄遣い。清水義範か(賞賛)。

ところでこの会話サンプル、A(女)とB(女)と俺(男)で自然に友達同士の会話をしているってことについては非モテ諸君からの何の反応もないんだけどいいのかな(見つけてないだけ?)。

「そもそも男1女2のシチュで自然に会話できてる時点でオマエラとはプギャー」みたいな。

でもね、いつでも

「女性の側に合わせろ」っていうのは差別だ。

とかって考えちゃうとあんまり幸せじゃないかも知れない。いつの瞬間でも平等でありつづけようとするよりも、たとえば一ヶ月とか一年とか一生とかのトータルでいろいろ差し引きで平等、みたいのがいいんだと思う。

あっ、ついマジレスしちゃった。死ねばいいのに。


広告が。

また広告がでてきちゃった。急かさないでよう。
自分がいけてないモノ作ると自分にしっぺ返しが返ってくるのが世の常ですが、作るときに時間とお金と心の余裕をもう少し欲しいと思うのは贅沢なんでしょうか。
でしょうか。


こどものエサ

「○○をして初めてわかった」
っていう言い方って、すぐに
「あなたは○○をしてないんだからわからない」
という物言いに繋がってしまうので、できるだけしないようにしているのだけど。

赤ちゃんをじっくり観察していると初めて判ることがたくさんあって飽きない。

最近知ったことは、愛情には質量があって、赤ちゃんはどうやらそれを食って生きているらしいこと。いや、文学的な文の修飾とかじゃなくて、ホントにそうなんだって。自分に直接むけられたものでなくても、夫婦間の愛情とかもその辺に転がってるのを勝手に食ってるみたいだし、ちゃんとこっちが形にしてアクションをしないと足りないーって顔(お腹空いたときと同じ顔)するし、そうとしか考えられない。

きっとちゃんと与えないと栄養失調みたいな顔になっちゃうんだぜ。

そんなんも知らなかったんかと言われればそれまで。そうだったんだなあ。


得意料理

第522回「得意料理はなんですか?」

あまりにも書けないのでこういうのに頼ってみるよ。

得意料理、小麦粉。こないだピザ生地打ちました。うどんも打つよ(あんまり上手くないけど)。ラザニアの麺も作ったことがある。餃子の皮は自分で打つと全く違う料理になって感動する。

ウチの場合、僕が生地を打ってる間に奥さんが他の全部を作ってくれるので僕の得意料理はピザです、とかは言えないのでした。


貧者の思考=減点法

「旨い寿司が食べたいなあ」
「そんなら寿司松いくか」
「でもあそこ狭いからなあ」
「広いのが良いなら広寿司か」
「あんまり美味しくないしなあ」
「(イラッ)じゃあそこそこ美味しくて広さも適当な並寿司か」
「あそこも中途半端だなあ」
「(イライラ)じゃあ金寿司」
「高いよお」
「おまえとはどっこも行かん」

なにかを選ぶとき、各選択肢の欠点を強く念じてしまうのは愚かで豊かになれない考え方だ。そういう、すべての物事を減点法で評価する人は、それを選ぶことによって感じる「不幸せ」をつみあげて評価するわけで、「不幸せ」を少しでも減らしたいと考えている。まったくなーにをそんな必死に守ってるんだか。

この、モノがはちゃめちゃ多くてネットで簡単にアクセスできる時代、たまたま完璧な選択肢に巡り会えることもあるだろう。だからあの人達は「これでいいんだ」と思ってしまう。でもいつも巡り会えるとは限らない。というか、ほとんどの場合完璧な選択肢なんてない。あと、選ぶ時間も有限でごく短い。

「不幸せ」を積み上げる方式の一番いけないところは、たとえば寿司屋を選ぶ場合で言えば「めちゃくちゃ旨い店」と、「不幸せを感じない程度に不味くない店」が味の評価軸において同じ得点になってしまうということ。これが豊かになれない最大の要因。やーいバーカバーカ。
(注:そのとき求めるものが味じゃなくてたとえば広さを求めているなら、味は不味くない程度で十分、とする選択は当然。詳細は以下)


そうじゃなくて、加点法で考える。それを選ぶことによって得られる「幸せ」をつみあげて評価する。そして、
・どの評価軸が一番大事か決める。
・さっくり決めて無謬を求めない
実は減点法か加点法かよりも、これが本質的なんだけど、減点法な人たちはこれができてないことが多い。

「旨い寿司が食べたいなあ」
「そんなら寿司松がいいかな」
「並寿司も旨いって聞いた」
「並寿司もいいけど、僕は寿司松を推すかな」
「じゃあ今日は寿司松、こんど並寿司行こう」
「よっしゃ」
(食後)
「いやあ旨かった、でもちょっと狭いな」
「でもやっぱり並寿司はここほどは旨くないな」
「じゃあやっぱり次回もここがいい」

不幸せを少しでも減らそうと考える人は豊かになれない。多少不幸せがあってもそれ以上の幸せを得ればいいと考える人は豊かになりやすい。そしてもし得られた幸せがそれほどでもなかったなら、もう一回試せばいい。生涯一度しか試せないことのほうが少ないでしょ。

「広いところでのんびり寿司食いたいなあ」
「広寿司は広いよ」
「旨い?」
「旨いのなら寿司松だけど狭いんだ」
「じゃあ広寿司で」
(食後)
「ここ広いけどうるさくて落ち着かないなあ」
「そういやそうだ、並寿司はもうちょっと静かだよ、旨いし」
「じゃあ今度は並寿司だな」


ちなみに、減点法に凝り固まった人々は、他人のあら探しをする。いちゃもんをつける。一点が突出した魅力を持ったものを評価できない。自分では無難なものしか生み出せない。クリエイティブには向かない。



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