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進化の袋小路

とても良いものができると、流行って、それを作る人、消費する人が増える。

人が増えると競争が起こって、もっと良いもの、他にないもの、ニッチなものが生まれていく。

やがて流行が終わり、潮が引くように人が減っていくと、それまでの需要を維持するために、もっともっと良いもの、もっともっと珍しいもの、もっともっとニッチなものが生まれる。

そこが進化の袋小路になることがある。

例えば探偵小説。最初は名探偵が見事な推理で悪い犯人をやっつける気持ちよさで一気に大流行して「本格推理小説」というジャンルが生まれた。やがてそれが一巡りして飽きられると、さまざまな亜種が発生して、探偵が犯人だったり、被害者が犯人だったり、ヤスだったり、読者が犯人だったり、犯人がいなかったり、事件が起こらなかったり、しまいには、探偵自身が「自分は今探偵役をやってるがそれは犯人がいて物語の要請が云々」とメタ方向に悩み始めちゃったりするようになってしまった。

探偵小説読みはそれまでの知識の下積みがあるからそういうのもおもしろがるけど、本来の小説の価値観だったはずの「面白さ」がどっかいって、「どこのどれにも似ていないこと」を追求しなきゃいけないって時点でジャンルとしてはだいぶ苦しい。それでも苦しい中からまた突破口が開けたりするから、終わってるとまでは言わないけど。苦しそう。


たとえば博多ラーメン。みんな固ゆでが好きなんだって。「ふつう」「かため」「バリかた」「ハリガネ」までは聞いたことあったけど、今日教えてもらったのは「粉落とし」と「生」。

…茹でろよ。


たとえば現代美術。…ごめんなさい美術詳しくないんだった。でも、誰でも気軽に写真が撮れるようになった時点で、写実の技術を追求していた人たちはどうしようもなく絶望したんだと思う。その後、印象派とか、各種何とかイズムとか各種抽象画を経て、どんどん「具象から抽象」要するに「わかる人にしかわからない」を追求していって、自然のランダムを追求しすぎて、でかいキャンバスに絵の具ぶちまけるとかしかなくなっちゃって、一巡りして、美術展に便器一個出展する人とか出てきて、ジャンルとしてはやはり苦しい状態なんだと思う。


そういう袋小路っぽい現象に共通するのは、「人が減っていく過程で生まれてくる」というところ。そんなのに比べたら、ガラパゴスとかいってさんざん自ら卑下してる日本のケータイなんてかわいいもんだ。だってあんなに機能詰め込んでるのはやっぱりすごいことでしょ。お財布ケータイだって携帯音楽だって、なんだかんだでまだ多くの人に受け入れられてる。(ワンセグはそうでもないか。)


さて、とりとめもないけど、名古屋の食べ物は袋小路にはまりそうではまらない。名古屋人というのは、うまいかまずいかはおいといて、とりあえず目についた食べ物同士を掛け合わせないと気が済まない性質がある。二種で足りなきゃ三種でも四種でも掛け合わせる。

その中から、なぜか、そこそこ旨いものがたまに出現する。
どれがその「旨いもの」かについては言及しない。お、小倉パンとかな。

そういうカルチャーでは、局所最適の穴に陥ってしまう前に、突然変異的に別の個体がどんどん生まれるため、みんなが一つの穴にはまることがない。

それが、名古屋の食べ物がみんなで一緒に袋小路にはまることがない代わりに、同時に、極限の洗練のような最上級の食べ物が生まれない理由なんだと思う。

名古屋の話かよ!


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