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オリジナリティとか自分勝手とか

内田センセイのブログはだいぶ長いこと読んでるので「おぉ」と思うことは少なくなってきたのだけど、今日「あ。ほんとだ。」と思ったので記録。

つねづね申し上げていることだが、他人を出し抜いて利己的にふるまうことで自己利益を得ている人間は、そういうことをするのは「自分だけ」で他人はできるだけ遵法的にふるまってほしいと願っている。
高速道路が渋滞しているときに路肩を走るドライバーや、みんなが一列に並んで順番を待っているときに後ろから横入りする人は「そんなことをするのが自分だけ」であるときにもっとも多くの利益を得、「みんなが自分のようにふるまう」ときにアドバンテージを失うからである。
だから、彼らは「この世に自分のような人間ができるだけいないこと」を願うようになる。 論理的には必ずそうなる。

その「呪い」はまっすぐ自分に向かう。 「私のような人間はこの世にいてはならない」という自分自身に対する呪いからはどんな人間も逃れることはできない。
甲野先生の最後の授業 (内田樹の研究室)
ここまでは、承知済み。で、続きが
「オリジナリティ」とか「知的所有権」とか「自分探しの旅」とかいうのはそういうイデオロギーの副産物である。
けれども、「オリジナルであること」に過大な意味を賦与する人たちは、そのようにして「私のような人間はこの世にできるだけいない方がいい」という呪いを自分自身かけているのである。
甲野先生の最後の授業 (内田樹の研究室)
あ!ほんとだ。なるほど。

オリジナリティとかユニークネスというのは僕の中では学生の頃からずっと気にかかっていることで、今までのところ

・経済的な価値が生じるほどのもの凄いユニークネスを、みんなが求める/みんなに求めさせるって。
・インターネット検索によって自分のオリジナリティの無さに絶望する年齢が飛躍的に早くなってしまった
・自分だけが持っているような価値を探す旅は、そんなものはどこにも存在しないことを腹の底から理解するという効果があるからやりたいならやればいいと思う。ただし絶望を回避できるように狭い範囲をちょろっと巡るだけだったら無駄だからやめたらいい
・それでもついつい気を抜くと「俺ってちょっと特別じゃね?」という方向に逃げたくなる

というようなことを考えてたけど、高速道路の路肩を走る利己的な動機と同じなんだというのは気づいてなかった。そうか。

で、さらに続く。
「私のような人間ばかりの世界」で暮らしても「平気」であるように、できれば「そうであったらたいへん快適」であるように自己形成すること、それが「倫理」の究極的な要請だと私は思う。
「世界が私のような人間ばかりだったらいいな」というのが人間が自分自身に与えることのできる最大の祝福である。
でも、これはむずかしい課題である。
ふつうの人は「世界が私のような人間ばかりだったら」気が狂ってしまう。 他者のいない世界に人間は耐えられないからである。
甲野先生の最後の授業 (内田樹の研究室)
逆をとれば当然そういうことになる。ふつうは耐えられないよね。ふつうは。

で、ふつうじゃないのがスガシカオだよねー。
世界中の人が全部もし僕だったら
世界中の神が全部もし僕だったら
そんな素晴らしいことってちょっとない気しない?
いやいやいやいや。素晴らしくねえよ!

と、まあこの歌詞初めてきいたときは戦慄したもんだけど内田センセイのブログと合わせて読んでみると、そうか、スガシカオひょっとして深いんじゃない?
でもちょっと待って ぼくって自分をそんな愛せるかな?
ていうかめんどくさいし かなりムリかも

遠い南の島に楽園を もし僕がつくるとしたら
大嫌いなあいつとか連れて行ったほうがいいのかもね
そうか、やっぱりそういうことなのか、内田センセイとスガシカオセンセイ!


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