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助けるには愛が要る

これはとてもよくあるハナシ。いや鬱で働きたくないって人は僕のまわりにはいないけど(友達少ないから)、その、不幸な過去のせいで不幸な現状が云々っていうのはよくあるタイプ。

「わたしは両親から愛情も注がれずに育ち―」
「子供の頃はいじめられっこで、こんなに酷いこともされ―」
「信じていた彼/彼女からも、これこれこういう最悪な形で裏切られ―」
「わたしは鬱なので働きたくても働けず、それを周りから責められている―」
・・・なんていうストーリーの身の上話を最近よく聞くのだけど。
本当に助けて欲しい人はいるのだろうか
そういうハナシを聞いて、うかつにもそうなのか、じゃあと思っちゃって
そういう人に「どうしたいと思ってるの?」と聞いても明確な回答は返ってこない。
稀に「○○で働けたらいいんだけど・・・」といった希望があっても「なら、そこで働いてみようよ」と言うと「△△がどうしても無理で」などと、自分なりにできない理由のある解決策しか模索していない。
「じゃあこうするのはどう?」と提案しても「それはちょっと・・・□□もあるし」と、どうすればそれが実現できるかを考えずに、それができない理由ばかりを探して返してくる。
本当に助けて欲しい人はいるのだろうか
変える気ねぇならグヂグヂ言ってくんなヨ!ってこっちが腹立ってきたりして。

今までの自分のやり方、生き方をすんなりぱきっと変更して負のスパイラルを断ち切る、そういうエネルギーがあるぐらいならそもそも負のスパイラルに陥る前に自分でなんとかしてただろうし、アドバイスなんてするだけ無駄なのかもしれない。

でも「友人のアドバイスのおかげで抜け出すことができた」とか「母親の支えのおかげで今がある」みたいな話もテレビやネットでよく見かける(僕のまわりではないけど、友達少な略)ので、そういう例もあるみたい。

そのような例に共通するのは、「助けたい」と思う側の熱意、というか、愛情なんだと思う。

どん底(当人比)まで落ち込んで、現状を変えるエネルギーを持つことも出来ず、「助けてー」と力ない声を上げるだけで自分で助かる努力もできないところからもし助かるとしたら、なにかとんでもない幸運とか、他の誰かの無償の愛情ぐらいでしかありえない。
例を挙げると、ある女性はDV彼氏と付き合っていた。日々暴力を受けているのだけど、その状況からなかなか脱出しようとしない。そういう女性は、その彼氏と別れても、どういうわけかまた別のDV彼氏と付き合うことになる。
本当に助けて欲しい人はいるのだろうか
こんな不幸病の人、愛情でもなけりゃ最後まできちんと助けきるのはムリだよ。

という、そういうことも、困ってる側の人は考える余裕もないから誰にでも身の上話をしてしまい、「問題があるなら解決すればいいじゃん」ってナチュラルに考えてしまう人にウザがられちゃうと。

「助けてー」
「ごめん愛してないからムリ」
「ぎゃふんぎゃふん」


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