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問題解決力?地頭?

さんざんいい大人になっちゃってから、「コミュニケーション力が」とか「問題解決力が」とか、一生懸命ビジネス書とか読んじゃってさ。

小学校から大学まで、10年間もコツコツと与えられた課題に正面から取り組んで、要領よく他人のノート写したり巧いこと過去問丸暗記とかじゃなくて自力でちゃんと良い成績をとってきたような人は結局、問題解決する練習をたくさんたくさん積んできてるってことだよね。

学校でも会社でも、周りの人と助けたり助けられたり、たとえば文化祭とかクラブ活動とか、もちろん恋愛とか、合コンもかもしれないけど、問題に取り組んでちゃんと切り抜けてきたような人は結局、コミュニケーションの練習をたくさんたくさん積んできてるってことだよね。

「学校の勉強なんてなんの役にも立たない」
「文化祭なんて馬鹿馬鹿しい」
って、そんなことないんだって。学校の勉強でも文化祭でも、一生懸命頑張って誠実に取り組むことは否定しちゃいけないんだよ。

勉強の成績が良かったから数学とかやらせれば優秀だけど、社会人としてどっか足りてない、みたいな人や、またその足りない部分が上手に埋められないような人は、そりゃあいくらでもいるでしょう。それでも「真剣に学んだ」ことを馬鹿にしちゃいけない。

「なんのために勉強するの」
っていう子供の問いに、大人や社会が
「勉強すればこれこれこのようにお金が儲かるからだよ」
なんていう答えを返し続けてきたから、
「じゃあ、勉強しないでお金が儲かるならオレ勝ち組」
なんてことになっちゃってるんでしょう。(そして、楽して勝ち組になろうとしてやっぱりなれなくて気づくと行き場がなくて困る、みたいな人が増えちゃってる)
というのは内田センセイの受け売りね。

それは「学校というのは、子どもにもその有用性や意義がわかる商品を扱うところである」という理解に子どもを導くだけである。
となれば、消費主体のその後の仕事は一つしかない。 それは、その商品を「最小限の対価」で手に入れるためにはどうするか工夫する、ということである。
商品を「買い叩く」ための基本は当該商品に対する欲望をできるだけ示さないことである。
だから、子どもたちは可能な限り授業に集中せず、教師に対する敬意表現を手控え、「学びたくない」というメッセージを全身でアピールする。

こんな私でよかったら (内田樹の研究室)

真っ正面から恥ずかしいことを言ってやる。
「真剣に取り組むことは尊いことだ。今やるべきことを真剣にやんなさい。」


内田センセイはまたちょっと違った「学びの理由」を挙げている。これも僕は好きだけど、子供にこう説明するにはちょっと。
しかし、知性のパフォーマンスが爆発的に向上するのは、「その有用性が理解できないものについて、これまで誰も気づかなかった、それが蔵している潜在的な有用性」を見出そうとして作動するときなのである。
自分が何を探しているのかわからないときに、自分が要るものを探し出す能力。それが知的パフォーマンスの最高の様態である。

そのうち役に立つかも (内田樹の研究室)

でも子供にこういうワケわからんことをねじ込むのも面白そうだ。自分ちで実験ができるのも子育ての楽しみ。
「わかんないでしょ。僕もたぶんわかってないもん。もしわかったら教えてよ」
とか。けけけ。


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