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貧者の思考=減点法

「旨い寿司が食べたいなあ」
「そんなら寿司松いくか」
「でもあそこ狭いからなあ」
「広いのが良いなら広寿司か」
「あんまり美味しくないしなあ」
「(イラッ)じゃあそこそこ美味しくて広さも適当な並寿司か」
「あそこも中途半端だなあ」
「(イライラ)じゃあ金寿司」
「高いよお」
「おまえとはどっこも行かん」

なにかを選ぶとき、各選択肢の欠点を強く念じてしまうのは愚かで豊かになれない考え方だ。そういう、すべての物事を減点法で評価する人は、それを選ぶことによって感じる「不幸せ」をつみあげて評価するわけで、「不幸せ」を少しでも減らしたいと考えている。まったくなーにをそんな必死に守ってるんだか。

この、モノがはちゃめちゃ多くてネットで簡単にアクセスできる時代、たまたま完璧な選択肢に巡り会えることもあるだろう。だからあの人達は「これでいいんだ」と思ってしまう。でもいつも巡り会えるとは限らない。というか、ほとんどの場合完璧な選択肢なんてない。あと、選ぶ時間も有限でごく短い。

「不幸せ」を積み上げる方式の一番いけないところは、たとえば寿司屋を選ぶ場合で言えば「めちゃくちゃ旨い店」と、「不幸せを感じない程度に不味くない店」が味の評価軸において同じ得点になってしまうということ。これが豊かになれない最大の要因。やーいバーカバーカ。
(注:そのとき求めるものが味じゃなくてたとえば広さを求めているなら、味は不味くない程度で十分、とする選択は当然。詳細は以下)


そうじゃなくて、加点法で考える。それを選ぶことによって得られる「幸せ」をつみあげて評価する。そして、
・どの評価軸が一番大事か決める。
・さっくり決めて無謬を求めない
実は減点法か加点法かよりも、これが本質的なんだけど、減点法な人たちはこれができてないことが多い。

「旨い寿司が食べたいなあ」
「そんなら寿司松がいいかな」
「並寿司も旨いって聞いた」
「並寿司もいいけど、僕は寿司松を推すかな」
「じゃあ今日は寿司松、こんど並寿司行こう」
「よっしゃ」
(食後)
「いやあ旨かった、でもちょっと狭いな」
「でもやっぱり並寿司はここほどは旨くないな」
「じゃあやっぱり次回もここがいい」

不幸せを少しでも減らそうと考える人は豊かになれない。多少不幸せがあってもそれ以上の幸せを得ればいいと考える人は豊かになりやすい。そしてもし得られた幸せがそれほどでもなかったなら、もう一回試せばいい。生涯一度しか試せないことのほうが少ないでしょ。

「広いところでのんびり寿司食いたいなあ」
「広寿司は広いよ」
「旨い?」
「旨いのなら寿司松だけど狭いんだ」
「じゃあ広寿司で」
(食後)
「ここ広いけどうるさくて落ち着かないなあ」
「そういやそうだ、並寿司はもうちょっと静かだよ、旨いし」
「じゃあ今度は並寿司だな」


ちなみに、減点法に凝り固まった人々は、他人のあら探しをする。いちゃもんをつける。一点が突出した魅力を持ったものを評価できない。自分では無難なものしか生み出せない。クリエイティブには向かない。


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