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国際人≠小学校で英語必修

文科省は学習指導要領を改訂し、小学校五年六年から英語を必修化することを決めた。
愚かなことである。
日本語がこれだけできなくなっている知的状況で二カ国語を学ばせる意味がどれほどあるのか。
小学生に英語を必修させる必要があるのか? (内田樹の研究室)

小学校で英語必修になるのかあ。それは二つの意味でイヤだなあ。

まず、二つの言語を半端に使える子どもと、一つの言語を達者に使える子どもとでは、一つの言語を達者に使える子どものほうがたぶん賢くなれるだろうと思えるから。

人間、語彙にないことは考えられない。そしておとなになったときの人間としての成熟度は、子どもの頃からどれだけ深く広く色んなことを考えたかに依存している。もちろん考えるってのは学校の勉強以外も全部含めて。

こどものうちに言語を習うっていうのは、ついでにその言葉に付いてくる概念や知識も一緒に習うっていうことだ。国語の教科書や、予備校での国語の問題文から学んだことは意外に多い。そして、そういう概念や知識は「タネ」となって、別の知識や感動につながる。

たとえば言葉として「夕顔」を知らない子どもは花が咲いてるのを見て「あー花だー」って思うだけだろうけど、たとえば源氏物語の夕顔までかじったことのある子どもは花を見ただけで広く深く、いろんな脳内活動を行うだろう。

夕顔の話自体はおとなになるまで覚えてなくたっていい。そのときたくさん脳内でシナプスがプスプスいうってことが大事なんだと思う。

第二言語を習うっていうのは、すでに母国語で知っている概念や知識に第二言語をくっつけていくっていうことなので、中学の英語の教科書から学ぶ英語以外のことって少ないよね。大学入試の時になって初めて長い文章から「へぇ~」と思うことが多くなったけど。

だから、英語を習う時間があったら国語やってほしいよ。


あともう一点は、小学校から英会話習っている人の中で、おとなになって英語ぺらぺらの人、どんだけいんの、っていう話。しょせん小学校で週に数時間「じす いず あ ぺーん」ってやったところで、おとなになって英語喋れんのかと。結構しゃべれるんならごめんなさい。

英語で外国人と意思の疎通を図れることは素晴らしいことだと思う。また、ただ海外旅行で買い物が出来るってレベルから、議論を戦わせたり抽象的な思索について語り合うまでいろんなレベルがあるってこともわかってる。

でもそういうのを実現するのに必要な事って小学校で英語の授業をすることなのか?

昔バイトしてた塾の高校生達が、学校の修学旅行でオーストラリアに行った後、英語の授業を受ける態度が一変したことがあった。「次行ったらいろいろ話してみるんだ!」って。教えるこっちも、「使う」ことに焦点を当てて教えた。そら点数だって上がるよ。それにそうやって学んだ英語だけが、たぶん、使えるようになるんじゃないだろうか。


僕の英語力?

アメリカ人と一緒に機械学習の開発をしたことがあるよ。
片言の日本語と片言の英語とホワイトボードのポンチ絵とJavaのコードが入り乱れて面白かった。アメリカ人は「語彙は少ないけど発音は上手。あとその語彙で冗談が言えるとこがスゲー」って言ってた。中国人の部下は「とっくりさんの英語程度の日本語が喋れるようになりたい」って言ってた。という、その程度。国際人だのバイリンガルなんかにはほど遠い。「喋れる」なんてよー言わん。

英語は学校でしか習ったこと無いけど、留学もホームステイもしたことないけど、気合いと思い切りと言い換えのセンスでなんとかなったんじゃないかと思ってる。


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